暗くて愚かなニクいやつ。

俺はお前を殴らないからお前も俺を殴らないでおくれ

終末の片想い【小説再掲】(4000文字程度)

 ガラス扉を開けると、冷ややかな風が僕を覆う。こんな状況になってまで作動しているとは驚きだが、都合がいいことには違いない。それも、今日までではあるのだが。

「あなた、不良なのね。 お酒はハタチになってからよ」

 僕とは少し距離を取り、彼女は別のガラス扉を開ける。銀色のアルミ缶を持つ僕と対照的に、彼女はカラフルな色彩のペットボトルを取り出した。

「なったんだよ、ハタチに。 つい先日ね」

「ああ、それはおめでとう」

「まさか君に祝ってもらえるとは思わなかったな」

 プシュッという音と共に、僕はそれを口内に流し込む。不慣れなその味に表情が引きつる。こんな日が来る前に、慣れておきたかったものだ。

「やっぱり不良じゃない。 店を出るまで我慢できないの?」

「今さらだよ。 それより君は、ずいぶんと可愛らしいものが好みなんだね?」

「人の好みを笑わないで。 そういう人、嫌いかも」

「笑ってるつもりはないんだけどなあ」

 ガラス扉に映る顔を見て頬を叩く。否定はしたものの、僕の顔は思ったよりもニヤついていた。しかしこれは、別の理由だろう。

「君もどう? 一口」

 僕がアルミ缶を差し出すと、彼女は取り付く島もないような憮然とした態度で言った。

「おあいにくさま。 私、まだ大人じゃないの」

「かたくなだなあ」

「悪いことはバレるものよ」

「バレる相手がいないだろう?」

 僕がそう言うと、彼女は一瞬目を見開いて止まった。

「小さい子供がお父さんのビールをぺろっと舐めて、それで捕まるかい? ましてこの状況だ。 君を縛るものは何もない」

「……言われてみたら、そうかも」

「君って結構抜けてるんだね」

「うるさいなあ」

 彼女は僕に近寄って乱暴にアルミ缶を奪い取り、勢いよく口内に流し込んだ。

 そして、むせた。

「大丈夫?」

「……無理。 マズい」

 顔をしかめた彼女は、カラフルな色彩のペットボトルを開ける。それで舌に残る感覚を上書きすると、彼女は落ち着いた表情を取り戻した。

「よくこんなの、飲めるね? 全然美味しくない」

「僕も美味しいとは思ってないよ」

「じゃあ、格好でも付けてるの?」

「そうだね。 君に良い所を見せたくて」

「……それなら、的外れね。 私は好きなものを美味しそうに飲んでいる方がずっと素敵だと思うわ」

 それを聞き、僕はアルミ缶を元あった場所に戻す。そして幼少期からずっと愛している炭酸飲料に手を伸ばす。

「素直な人ね」

「最後くらいは、良い印象で締めくくりたいから」

 そろそろ行こうか、と僕が言う。彼女が短く返事をした。

 商品を手に持ちそのまま外へ出る僕たちを咎める者はいない。

  

 僕たち以外に、人はいない。


 ◯


「海へ行こう」

 世界が終わる日の朝に、彼女は僕に提案した。もちろん断るはずがない。

「なんで、海なの?」

 しかし彼女と少しでも話がしたい僕は、肩を並べて歩く彼女に改めて質問した。

「なんとなく」

 彼女は、本当になんとなくといった顔で僕を見た。

「それとも、海にまつわるエピソードでも必要かしら?」

「それはいいね。 この際、真偽は問わないこととする」

 彼女は腕を組んで、少しの間を空けて言う。

「実は私…… 幼き日にイルカに助けられたの」

「そいつは奇想天外だ」

「本当の話よ?」

 彼女は不敵な笑みを浮かべ、そんなことを言う。僕も肩の力を抜いて応える。

「実は僕…… そのイルカなんだ」

「あらま」

「驚いた?」

「その節は、どうもありがとうございます」

「いえいえ」

 わざとらしく頭を下げる彼女を見て、僕もわざとらしく手を振った。

「でも、不思議ね。 あなたはどこから見ても人間だわ」

「どうやら、溺れていた君に不覚にも恋をしてしまったらしい。 そして君にもう一度会いたいと願ったら、人間になれた」

「大変素敵なお話だけれど、あなたの気持ちに応えることは出来ないわ」

「それは残念だ」

 僕が大げさに肩をすくめると、彼女はおかしそうに笑った。

「あなたは、海にまつわるエピソードはないの?」

「ええ、僕? 別に、海は特別好きでもないし」

「この際真偽は問わないこととするわ」

「うーん、そういうことなら」

 僕が彼女と同じように腕を組み思案していると、「期待しているわ」と彼女が呟いた。期待に応えたいのはやまやまだが、あまりハードルを上げないでもらいたいものだ。

「実は僕…… 海の神なんだ」

「あなた、ポセイドンだったの?」

「図が高い。 控えおろう」

「ははー」

 彼女はまたも、大げさに頭を下げる。命の恩人になったり神になったり、僕の図々しさも大概だ。

「……海の神って、偉そうなのね?」

「まあ、神だしね」

「私、威張ってる人嫌いかも」

「……それなら僕は辞任することにしよう。 そして願ったら人間になれた」

「人間になってばかりね?」

「神より、イルカより、人間でいた方が君に好かれる可能性はある」

「人間関係に煩わされるのって疲れるし、大空を自由に飛び回る鳥の方が好きかも」

「鳥にまつわるエピソード、必要かな?」


 ◯


「海だー!」

 彼女はそう言い、眼前に広がる海に向かって両手を上げて走り出す。彼女が手に持っていたペットボトルが彼女の頭上に大きく弧を描いて、砂浜に落ちた。そんなテンションの彼女を初めて見たものだから、多少の驚きは禁じ得ない。

「君もそんな風にはしゃぐんだね」

 彼女は靴を雑に脱いで、浅瀬で波と戯れる。僕が歩み寄ると、足元の水をすくって僕にかけた。

「んー、他に誰もいないからってのが一番かな。 私だってたまには、自分をさらけ出したくもなる」

 彼女に続いて僕も波と戯れようと靴を脱ぎ始めたところで、彼女は言った。

「強引にさらけ出したはいいけどちょっと寒いわね。 それに、ベタベタする」

 彼女はすぐに波打ち際から引き上げる。僕は、ほどいた靴紐を結び直す。

「……まあ、季節外れではあるかな」

「特に快晴というわけでもないしね。 最後の日だっていうのに、辛気くさいなあ」

 落ちたペットボトルを拾って、不満そうな彼女に手渡す。ありがとう、と君は言う。

「まあ、そう悪くないよ。 汗ばむほどでも、凍えるほどでもない。 適温だと考えれば、それはそれで最後の日に適切だ」

「そう考えることにしとく」

 彼女はその場に座り込み、ふぅー、と長めの息を吐く。人ひとり分ぐらいのスペースを開けて、僕も隣に座り込む。

「それに、どこかのリゾート地みたいな真っ青の海でもないし…… 最後に見る海が、こんな感じじゃね」

「最後の最後が特別じゃなくて、いつも通りの見慣れた海の姿ってのも、それはそれで趣きがあると思うけどなあ。 最後まで、日常は日常だった」

「んーんー、そうは言ってもね…… ポセイドン様、なんとかしてくださらない?」

「任せたまえ」

 そう言って僕は目を閉じる。そして、両手を前に出して念じた。

「よし! これで大丈夫」

「……何か、変わった?」

「明日になれば綺麗になってるよ」

「終末ジョークとは、意地が悪いのね」

 彼女は両手を広げ仰向けに倒れ込む。気持ちいいよ、と彼女が言うので僕も真似をした。

「穏やかね」

「本当に」

「……本当に、終わっちゃうのかしら?」

 僕は彼女の方へ90度転がった。彼女は空を見上げている。

「どうだろう。 でも僕は、最後に好きな人と一緒にいられて幸せだ」

「それって愛の告白?」

「ちょくちょく、気持ちはにじませてたんだけどなあ」

「ごめんね。 率直に言うけど、タイプじゃないの」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。 世界の終わりを盾にしちゃ、ロマンスも形無しだ」

「意外にロマンチストなのね?」

 彼女は僕の方へ90度転がった。向き合う形になって、思いのほか気恥ずかしいことに気付く。

「ちょっと、くさいかな」

「いいんじゃない? そういうの、素敵だと思う」

「……それは、よかった」

 赤くなったであろう顔を見られたくなくて、僕は空に向き直る。彼女はなおも僕を見つめる。

「恋愛がどうこうじゃないけれど…… 私、あなたに結構惹かれちゃってるかも。 世界が終わる日に、一緒にいたいと思うぐらいには」

「……他に選択肢がないだけじゃ?」

「どうかしらね?」

 彼女は視線を僕から空へ移す。よっと、と言いながら上半身を起こした。

「ベタだけど、追いかけっこでもしてみる?」

「ベタだなあ…… あはははは、ってやつ?」

「そう。 うふふふふ、ってやつ」

「悪くないかも」

「ついでに、昼食も拝借しに行こうかしら? 最後の昼食ね」

「最後の晩餐は何がいいかなあ」

「気が早いわよ」

「ははは…… まあ、君と食べるなら何でも美味しいよ」

「そうやって素直に気持ちを伝えてくれる人、素敵だと思う」

 彼女は立ち上がって僕に手を差し出す。その手を掴んで、僕も腰を上げる。ひやりとした感触を確かめた。

「じゃあ、スタート!」

 彼女はそう言って走り出した。彼女に触れた手をじっと見ていてワンテンポ遅れてしまったが、僕もそれに続く。運動神経の良い彼女が相手だから本気を出さないときつそうだ。

「あと、残り12時間ぐらいかしら? 今からどこへ行こうかな」

「どこにでも、好きなところに。 地の果てまで付き合うよ」


 ◯


 楽しくも切ない時間の中でもーー僕はこの時間がずっと続けばいいとは思わない。

『世界が終わる日にも恋が成就しなかった』という大きな未練を残していた方が、この世界が終わった後の世界で、幽霊みたいな存在として、また君と出会えるかもしれないし。

 そして、君とまた何かを始めることが出来るかもしれない。

 そんなことを期待してる僕がいる。

 ……まあそれは、何の確証もない希望的観測だけど。

 今言えることは、一つだけだ。


 今日、世界が終わる。

 終末の海で僕は君の後を追う。






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※この作品は以前『小説家になろう』上に投稿したものに、若干の修正を加えて再掲したものです。